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Profile: Wonsup Song

日本に住み始めて2017年でかれこれ18年目になります。
1999年に日本に来た当初はこれほど長く日本でのキャリアを続けることになるとは予想していませんでした。
1996年に韓国の大手広告代理店・金剛企画(現、金剛オグルヴィ)にて、CMプランナーというポジションである意味派手に社会人生活を始めました。というのも当時の韓国は日本でいうところのバブル絶頂期で、私が入社した年はそのバブルの最後の年でした。コスメ、建築、電化製品、衣類、食品…などなど様々な分野の広告に関わらせていただき、わずか入社2年目でニューヨークで小さな賞をいただくことになります。
これがある意味では、調子に乗りすぎて私の人生の方向を変える引き金となります。1998年、韓国のバブルは崩壊。時を同じくして日本の文化が解禁になるタイミングでもありました。私は日本で映画の勉強をしようと一念発起し渡日することになります。大好きだった伊丹十三、北野武、森田芳光という監督たちの国。そして当時まだ新進だった河瀬直美監督や『幻の光』を観て一つ一つの場面が頭から離れなかった是枝裕和監督まで、日本に来ることはワクワクと希望以外ありませんでした。
しかし日本に来てみると状況はまるで違いました。日本の映画業界は、それこそ史上最悪のどん底期に入っていたのです。学校は修了できたものの、就職先がない…就職できなければ日本に残って仕事をすることが叶わないということと、そして卒業制作などで演出することへの壁を感じた私は知人に紹介されてとある演劇のワークショップに参加することになります。それが、映画学校を卒業した後の私のこの15年間を作り上げるスタート地点となります。

ワークショップ後、私はまた別の知人の紹介でオペラ団体である東京室内歌劇場に勤めさせていただくことになります。演劇でもなく、ミュージカルでもなく、これまで縁もゆかりもなかったオペラ。辛うじて救いだったのは、大学時代まで趣味でアマオケに在籍していたこと。
映画学校で教わったことは一度きっぱり忘れ去り、広告代理店時代の記憶を呼び覚ましつつ、マイナージャンルであるオペラに対して様々な宣伝方法を試みる傍ら、オペラ業の制作に携わることになります。
と言っても私がいた団体は中小規模のオペラを中心に活動しており、所謂派手で大規模なオペラとは縁がありませんでした。しかし、それは私が韓国で小劇場に通いつめていた学生時代を思い出させてくれることになります。
ああ、近い距離で演者の息や汗をダイレクトに感じながら、そのエネルギーを全身で浴びることの凄まじさ。そうだ、私はかつてこういう物が大好きだっとのだと。
様々な作品を国内外で経験させていただきましたが、いつしか映像への未練が顔を出し始めその団体を退職することになります。
さあ、日本にやってきた目的を果たそう。

そして私が勤めることになったのは20世紀フォックス・ジャパンHE。
主な業務はこのスタジオの日本語版の制作。様々な映画作品、テレビドラマ作品に関わらせていただき、中でも敬愛するウディ・アレンの作品に携わらせていただいたことには今でも感謝しています。大元の作り手の立場ではありませんでしたが、一つの作品を世にお披露目するために後ろで行われている様々な業務を学ばせていただきました。しかし何より大きな糧だったのは「チーム」と出会ったことでした。誰かと一緒に働くということがこれほど楽しいことだとは、それまで思ったこともありませんでした。結果として我々は、当時の会社史上最多の仕事量をこなし、最高売上げを達成することに貢献することになりますが、それはあくまでも結果であって、その過程こそがその後の人生において何よりも大きなインパクトを持つものだったと振り返ります。

やがて時代は2000年代の終盤に差し掛かり、私の中ではふつふつと、やはりゼロから何かを企画し作っていきたいという思いが顔を出し始めます。サラリーマン生活に区切りをつけ、自分で活動をしてみようと。そんな折出会ったのが音楽事務所であるセンター・ヴィレッジでした。取締役として参加したこの会社ではクラシック・コンサート、ミュージカル、オペラ、公演の撮影など、これまで培って来たノウハウを最大限に駆使しながら新規オペラ公演を企画制作するという大役を預かります。何本かの作品を並行して立ち上げ、1本目のローンチまで後少しという順調に見えたタイミングで3.11が発生しました。幾つかの受託公演が中止や延期となり会社の売り上げも半減するなか、新たなことにチャレンジするというのは困難を極めました。次第に気持ちが焦り、混乱し、疲弊し、私の中に人としても金銭的にも余裕というものが殆どなくなり、やがて周りともギクシャクし始め、理想としていた「チーム」とは程遠い状況に陥ってしまいます。毎晩のように自分の不甲斐なさ、予想外の脆さに愕然とし、やがてチームを去ることとなります。
勉強も経験も鍛錬も、どれ一つとしてまだ一人前になっていなかったのだと痛感しました。

そんな折、しばらく連絡を取っていなかった映画会社時代の上司から声がかかります。期間限定の映像プロジェクトがあるのだけど参加しないかと。
全く携わったことのないジャンルだったこともあり、当時の状況からすると怖いと感じる気持ちの方が強かったと記憶していますが、少なからず借金もあったので、まずは何であれやってみようと決めました。それが私がJVCケンウッド・ビデオテックにお世話になるきっかけとなります。
技術的なことは素人同然でしたが、当時流行っていた3Dや様々な最新の映像技術について教えていただきました。プロジェクトは米国、韓国、インドと連携して行うもので、私はプロダクション・コーディネーターという立場で参加することになります。個人的にはとても新鮮でやり甲斐のある仕事でした。それぞれの国の時間帯がバラバラで体力的にはきつい面もありましたが、新しいことを吸収することの楽しさを改めて実感した時間となったのです。
やがてプロジェクトが大団円を迎える頃、会社から企画・制作部へ移らないかというオファーをいただきます。ありがたいお話でしたが、まだ何かを企画する気にはなれず一度は固辞しました。しかしふと、これも何かの流れかも知れないと思い直し、部署を移動して改めてお世話になり続けることにします。時代は4KやVRの黎明期で、やれることは目白押し。元来企画することは大好きだったわけでして、どれだけ時間を使い、どれだけ考え続けても、企画をすることは私にとって本当に楽しいことでした。
しかし私は同時に欲張りでもあったようです。映像の企画を始めたことで、置き忘れて来た感のある舞台の企画のことを思い出していたのです。

2016年10月。
こうして欲張りな私は映像も舞台も企画したいという思いからconSeptを立ち上げました。
これまでの全ての経験を活かしながら、同時にいろんな学びをいただいたそれぞれの業界に何かをフィードバックしたいという思いもあります。
深くは考えるがややこしくは考えない。素敵なものを届けたいが規模は追わない。
人と人が関わることで、人が楽しみ、人が成長するそんな環境を築きながら、その中で映像や舞台の公演が生まれていけばいいと考えています。
そのために出来ること、すべきことが~Simple, Small but Special~であるということだと信じて。

2017年1月 宋 元燮

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